~源義経終焉の地・ 平 泉 ~
■源義経と源頼朝
幼名を牛若丸といい、6歳の時、僧侶になるべく鞍馬山に預けられるが、夜な夜な抜け出し、天狗に兵法修行を受けていたそうです。
後、奥州平泉へ。
異母兄・頼朝の挙兵に応じて平氏追討の戦いに参加します。
数々の戦功を立て、戦いには天才的な能力を発揮するが、政治能力はありませんでした。
間もなく頼朝に疎まれ、追われる身になってしまいます。
逃避行をはかり最後にたどり着いたのは奥州平泉でした。
義経にとって最大の庇護者であった三代秀衡の死によって、
後を継いだ四代目藤原泰衡は、頼朝の強い圧力に恐れ、
義経討伐の意を決します。
そして中尊寺の東にある高館で短い生涯を閉じます。
文治5年(1189)、義経31歳でした。



■弁慶の奮戦
五条大橋(ごじょうおおはし)は、京都府京都市を流れる鴨川に掛かる橋。
そこで義経と出会って以来、彼に最期まで仕えたとされています。
弁慶は古くから豪傑の代名詞として用いられており、
それに因んだ様々なことばがあります。
【弁慶の立ち往生】
《弁慶が大長刀(なぎなた)をつえにして立ったまま死んだというところから》
進退きわまってどうにもならないことのたとえ。
【弁慶の泣き所】
《弁慶ほどの豪傑でも痛がって泣く急所の意》向こうずね。
強い者の最も弱い所。ただ一つの弱点。
【内弁慶、外地蔵】
家の中ではいばりちらすが、外では意気地のないこと。
など、多数あります。
■義経伝説
歴史上は「自害した」ことになっている義経ですが、蝦夷地(北海道)に逃れた説、蝦夷地からさらに中国大陸に渡ってチンギス・ハーンになった、という伝説も、のちに生まれました。