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花温コンシェルジュ

【花温コンシェルジュ】「花巻」の原点について

はじめに
花巻温泉では、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの1つとして、地域と共に歩む会社を目指しています。
その一環として、花巻観光協会主催「はなまき通検定」に合格したスタッフを「花温コンシェルジュ」として認定し、社内における着地型観光のスペシャリストの育成を行っています。
また、「花温コンシェルジュ」は訪れるお客様に対し、身近な存在として観光ルートの相談やご紹介を行ったり、定期的に自社ホームページやSNSを活用しながら花巻の観光を紹介するなど、地域の魅力を発信していくことを推進してまいります。
「花巻」の由来
花温コシェルジュの佐藤寿美です。
今回は、「花巻」の原点にスポットを当てたアナザーヒストリーを紹介いたします。

「花巻」という地名の由来
・「花の牧」といわれる名馬を産する牧場があったことから
・北上川の流れの中でできた渦に、花びらが浮かんで、美しい光景であったことから
・アイヌ語「パナ」で、川下に開けた土地の意味
・「端(はな)牧」の意味で、川が合流する三角州の牧のこと
と、素敵な響きの「花巻」という地名の由来は、諸説が言い伝えられています。
「花巻」は城下町

近世の新領主・南部信直は重臣である北秀愛(きたひでちか)に8,000石を与え、鳥谷ヶ崎に城代として入城させた。この時、秀愛がそれまでの「鳥谷ヶ崎」という名を「花巻」と改め、城下町の整備や城の改修に着手した。
安土桃山時代末期まで、鳥谷ヶ崎は稗貫氏の本拠地であった。稗貫氏は鎌倉時代、源頼朝に稗貫郡を与えられ入部、中世末期まで続いた豪族である。所領は現在の南部を除く花巻市に及び「稗貫五十三郷」といわれる。各郷に一族・家臣を置き、諸城を築いていた。
時鐘 南部盛岡城桜鐘 (ときがね なんぶもりおかじょうろうしょう)
正保3(1646)年に盛岡城の時鐘として鋳造されたもので、同年9月の紀年銘が刻まれている。慶安元年に破鐘したことから鋳直され、慶安5年には小ぶりで音量不足との理由から「南部盛岡城漏鐘」(東京谷中・全生庵に所在)に換えられたと言われる。その後、花巻の松林寺を経て、3代藩主南部重信により花巻城での再利用が命じられ、藩政期を通じて花巻城の時鐘として用いられた。
現在は花巻市役所前に所在し、現在でも市庁舎の警備員が毎夕方6時に撞いている。当鐘については、銘文や諸史料から藩政期及び明治期の来歴や変転を追うことができ、鋳造後の来歴も明確であることから、時鐘として鋳造後370年に及ぶ今日まで伝存した貴重な文化財といえる。

出典
・いわての文化情報大辞典
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/
おわりに
満開に咲き誇る桜の下で、心は城下町花巻にタイムスリップし、思いっきりノスタルジックに城下を見下ろしてみてはいかがでしょうか?
市内から少し遅れて咲く花巻温泉の桜は、現在入り口ゲート周辺の開花が順調に進んでいます。広大な園内では場所によって開花の時期が異なり、長く楽しめるのが特徴です。
市内を一望できる花巻城跡。そしてまもなく桜の見ごろを迎える花巻温泉。
花巻へ訪れた際は、ぜひ足を運んでみてください。

それでは、次回の更新を楽しみにお待ちください。

花巻温泉株式会社 SDGs(持続可能な開発目標)への取り組み

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